元気なママになるために♪ 不妊治療記録

33歳、夫と2人湘南暮らし。子宮外妊娠で入院したことをきっかけにブログを始めました。これから体外受精へとステップアップしていく過程の記録、通院のことなど不妊治療のことを中心に書いていきたいと思います。

子宮外妊娠の治療もあと1回。体外受精へ

今日は約10日ぶりの、異所性妊娠の治療の通院でした。

hCGの値が800台からなんと36に。

ほぼゼロだ~と思ったけど、やっぱりまだ規定値ではないからか

「もう一回通院して終わりになるかな。

もう卵管破裂の心配はほぼ無くなりましたね」と言ってもらった。

通院あと1回で終わるんだ!

卵管破裂しなかった、良かった~😭

 

思えばまだ異所性妊娠で退院してから3週間しか経ってなかったってことが信じられない。

もう2ヶ月くらい経ったような感覚だった…

 

入院中に立ち寄った病院内のローソンにてチョコを購入。

あの時はチョコどころじゃなかったなぁと その時の気持ちが少し思い出されて。

あの時のわたしは 異所性妊娠した自分は惨めじゃない、来てくれた子は無事に育ててあげられないけど、もっと身体を大事にするんだよって これから生まれてくる兄弟たちのために、私に教えに来てくれたんだって、自分に言い聞かせてた。

世の中には大変な病気の人がいっぱいいるんだからと自分を慰めてたなぁ。

 

今はもう、赤ちゃんの死や自分の病気と向き合いながら妊娠出産を諦めなかった女性の自伝(闘病記)を読んだことも影響して、覚悟が決まった。

やるべきことを、1年でも早くやる。

自分の体調のためにもあるけど、お腹に来てくれる子自身のために。

赤ちゃんのベッドになる胎盤を作れるのは、私しかいないんだから、絶対に安全な環境を作って守っていきたい。

体外受精なら、卵管で止まってしまう恐れもない。

 

8/20、通院の最後の日の午前中の診察のあと、午後に新しい不妊治療専門の病院の予約を取った。

楽しみだな~☆

どんな先生かな、先生方の所見や、私の状態を総合的に判断して、今後についてどういう意見をくれるかな。

 

 

 

 

夫との考え方の違い。お互いに正論?

7/11に入院して、体調が悪い日々が続いたこと。

異所性妊娠によってせっかくの妊娠の機会が中断してしまったこと。

年齢が今年33歳、年々年老いていき、今より若い時はもう来ないこと。

体質的に子どもができづらいこと+卵管因子があり自然妊娠は絶望的なこと。

そして、あとになって後悔しても時間は戻ってこないということ。

これらのことから、私は8月から勤務日数を週4から週3に減らし、夫の扶養に入らせてもらう決意をした。

夫は、仕方なくという感じで応じているけど、今日も、以前から言われ続けていることをまた言われた。

「俺がもし働けなくなったら路頭に迷うことになるけど、それって考えてんの?子供のことが大事なのはわかるけど、生活が成り立たなくなったら元も子もなくない?」

 

確かに、分かってる。フルタイムで働きながら妊娠して、当たり前のように産休を取って出産して復帰していく友だちがたくさんいるし、世間でも多くの人がそうしていること。

けど、わたしは体質的に丈夫じゃないし、些細なことでもストレスを感じてしまって、気持ちに余裕が持ちにくい。結果的に、それは妊娠率にも影響してくると思う。影響しないかもしれないけど、結果仕事をしながらでは授からないかもしれない。

フルタイムで仕事することもできるけど、そうしながら子どもが産めるか?というと、全然自信ない。

だから、今は稼ぐよりも、子どもを産む可能性をより高めたい。

今現在、夫にはちゃんとした職があって、経済的にも安定してる。それに頼るのは甘えだと思うけど、申し訳なくもあるけど、貴重なこの数年、わたしのわがままを許してほしい・・。

て思ってるけど、うまく伝えられない。。

わたし、カウンセリングについて学んでるくせに、人に伝える能力が低いな。。。

でも、夫に大事なことを伝える時が一番難しいって感じる。

男の人だからかな。

女の、この賞味期限に近づくみたいな気持ちは、たぶん理解できないんだろうな。

でも思えば、男性は身体がそうなってないから、実感持てないのも当然かもしれない。

それならそういう、理解できないんだなっていうことを前提に、穏やかに話ができたらいいのに、それができない。。

アサーショントレーニングが必要だ・・。。。

子宮外妊娠の経験を振り返って

まさか、妊娠反応が出るとも思っていなかったし、そんなウソのような嬉しい気持ちの後に、悲しい人工中絶と入院が待っているとも思いませんでした。

半年ほど前から、具体的に子どもが欲しいなと思って、5カ月ほど前から不妊外来に通い始め、検査を一通り終えてタイミング指導を受けての、初めての妊娠反応。

夫が体調が悪い時だったこと、自分の卵管の通りが、検査で元々左が通らなかったこと、その時の排卵が左側からだったようだと医師に言われたことなどから、総合的に、絶対今回も妊娠反応は出ないだろう、次に期待していこうと思っていたんです。

子宮外妊娠の疑いがあるのでと紹介状を書かれて総合病院に行った時は、正直、あっけにとられて動揺していたけど、そんな自分に落ち着け落ち着けとなだめているような感覚で。

でも、紹介先の病院で改めて診断を受けて、入院することになって、緊急手術にも対応できる太い点滴の針を刺されて・・

病室を、産科か小児科か選ばせてもらえて、妊婦さんがいる産科よりかは病気の子どもたちのいる小児科病棟の方がまだ良いと思って小児科を選びました。

そのあたりまでは気持ちをなんとか抑えられていたけど、小児科病棟に入った瞬間、壁にアンパンマンの工作が張ってあったり、いたるところに子ども向けのキャラクターが飾られているのを見て、ああ 自分は妊婦ではいられなくなったんだ、子どもは産めないんだと改めて痛感してしまい、病室に入って号泣しました。

夫に、家族にはこのことは言わないでと、むせび泣きながら伝えて、病室に一人になったけど、担当の看護師さんがとても優しくて、本当に慰められました。

 

15時頃に病室に来て、17時頃に、主治医になってくれた女性の先生が、今後の治療方針について丁寧に紙に起こして説明に来てくれました。

卵管内で止まったまま成長している卵を、通常であれば卵管破裂などを防ぐために卵管ごと摘出する手術をするのが第一選択とのことでしたが、不妊外来に通っていての妊娠だったこと、できたら卵管摘出は避けたいという私の気持ちを尊重してくださり、薬物治療を選ばせてくれました。

薬物治療をすることに決定し、その日の18時頃に初めての筋肉注射を打ってもらいました。先生から、腕よりもお尻の方が痛みが少ないという人が多いと言われ、お尻に打ってもらいましたが、打った後に薬が筋肉に浸透していく時がとても痛くて、なんともいえない強い痛みでした。加えて、その薬は、わたしの卵管の中にいる卵の成長を止め、流すための薬なので、せっかく受精卵になってくれた赤ちゃんの元を殺す薬を打たれるのは、精神的にしんどかった・・。

そんな時、注射を打たれる前から、ある看護師さんが手を握っていてくれ、注射が終わって主治医の先生が立ち去ったあとも、しばらく注射跡を擦っていてくれました。

それが、どれだけ有り難かったことか。。

辛くて、心細くて、悲しくて痛くて、でも耐えないとどうしようもない状況で、そんな時に親身になってくれた看護師さん。その夜はこれまで生きていた中でも個人的には一番応えた一夜だったけど、その看護師さんのおかげで本当に魂が救われました。

夜に、1時間おきに様子を見にきてくれた際にも、毎回温かい言葉をかけてくれて、とても嬉しかった。その夜は特に右下腹部に激痛が続いていたから、もし破裂したら緊急手術になるな、そうなりたくないなあと願っていながら過ごしました。そんな状況でも、何かあったらその看護師さんが駆けつけてくれる、最悪の場合もすぐ手術してもらえると思うと、疲れ切って精神的にも落ち込んでいた中でも、不思議な安心感がありました。

入院時に対応してくれた婦人科外来の看護師さんもとても優しくて、子宮外妊娠で不妊外来から紹介されてきた哀れな私に、同情するでもなくあくまで自然に接してくれ、それでも何気ない会話から励ましのような思いを感じました。

主治医となってくれた女医さんの最初の病状説明も、とても丁寧で、わかりやすくて、動転していた私を落ち着かせてくれるような穏やかな応答をしてくれました。

退院から3週間ほど経ちましたが、思い返せば思い返すほど、受けた対応の1つ1つが有り難くて、わたしはその病院が好きになりました。

悲しい悲しい初めての入院でしたが、そんな優しさに包まれた入院生活を送らせてもらえたことに、感謝しかありません。

こんな、コロナ禍の大変な時にも、文句を言うどころか毎日淡々と仕事をしている医療従事者の方たち。頭が下がります。本当にありがとう。